長者町店の思い出

ひろさんです。ジャイアン長者町店についてのブログありがとう。

お参りに行っていたことほとんど知りませんでした。

2005年1月、とにかく初めて名古屋に店を出すことで、パンを作る工房にお金をかけすぎて

店を作るお金がなく二人で東急ハンズやカーマホームセンタへ走り回って作った

のがこの小さなグルマン長者町店です。ジャイアンのセンスが十分に発揮された

意外と今でも通用するようなセンスを感じます。ガラスのサインは、ジャイアンの

手書きです。壁のデイスプレーも自分たちで作りました。本当にお客様が来られず

近所によくパンが残るので配って歩いていました。

 

2008年隣の花屋さんが退店され、急遽、イートインを作りました。

家具は、中古で見つけてきました。

少しアメリカンな感じがします。

2015年5月

本格的にパン屋としてリニューアルしました。心が温まる店を目指して、ナチュラルな

センスの良い店舗デザイナーのイランイランさんにお願いし、リニューアルオープン

今月25日まで、営業させて頂きました長者町店となりました。

オープンの記念撮影、

とっても元気なオープニングスタッフです。ジャイアンが写って居ないので

平均年齢は20代、本当に懐かしいです。

名古屋にグルマンを出店しようと考えたのは2003年ぐらいにさかのぼります。

本当は、全く名古屋に店を出すなんて全く思ってもいませんでした。

垂井でパンを焼きながら、通常のパン作りよりより原点に近いパンを作りたいと

グルマンの裏庭に石窯工房VITALを作ってしまいました。その当時ネット通販が

少し売れることを知り、やや安易な発想でネットで販売し、そして垂井にパンのテーマパーク

のようなパンの森を作りリアルとデジタルの、、、、、というような構想が失敗し

売先を求めて、どうしようか?

そこへジャイアンの一言、このパンは名古屋でしか売れないのでは?

ひろさんは火がついてしまいました。2004年 VITALの石窯パンを持って、デパートの

三越の地下のバイヤー室へこのパンを食べてください!、、、、

そこからは、苦労の連続です。

そして、長者町店でも苦労を重ねながら、ジャイアンからは、私は名古屋は無理って言ってたじゃない!

ひろさんは、そういう時は無言で黙って、嵐が過ぎるのを待つすべを知っています。

 

デパート三越から、どうして長者町店がオープンしたのか??ワンチャンスの出会いの連続です。

話が長くなりました。今日はここまで!

いつもひろさんは、ジャイアンに怒られます。話が長い!言葉はいらない。行動あるのみです。

 

本当に多くの長者町店にご協力いただきました皆様にお礼申し上げます。

 

これからの人手不足や厳しい経済環境を見て、半年前までは、長者町店を閉めて

名古屋からは撤退する予定でした。岐阜に戻ろうと9年前に閉めた同じ岐阜市橋に昨年10月に

再オープンさせて頂き、必ず戻ってくる。待ってたよ!と本当に多くのお客様から声をかけて頂き

ありがたい再オープンを迎えることが出来ました。その日に、長者町店の側で移転オープンを決断

しました。18年間、お客様に支えられてここまでの人生の足跡を次のグルマンの皆に引き継いで

貰いたいと願っています。

今後ともよろしくお願いします。

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